戊辰戦争年表帖 page 19/26
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53戊辰戦争年表帖1/28【1/4】この日、山陰道鎮撫総督に西園寺公きん望もち(右近衛権中将)(1849~1940)が、翌5日、東海道鎮撫総督に橋本実さね梁やな(1834~1885)が命ぜられる。(西国及び桑名平定)。諸藩への....
53戊辰戦争年表帖1/28【1/4】この日、山陰道鎮撫総督に西園寺公きん望もち(右近衛権中将)(1849~1940)が、翌5日、東海道鎮撫総督に橋本実さね梁やな(1834~1885)が命ぜられる。(西国及び桑名平定)。諸藩への恭順の意思表明と旗本領郡内の鎮撫であった。山陰道参謀は、河南東右衛門(薩摩藩)・小笠原美濃介(長州藩)。東海道鎮撫副総督は柳原前さき光みつ(1850~1894)、参謀は、木梨精一郎(長州藩)(1845~1910)・海江田信義(薩摩藩)(1832~1906)。00331/28【1/4】「戊辰戦争-鳥羽・伏見の戦い」。「賊軍」とされ劣勢となった幕軍、淀城に入り反撃を企てるも、山城国淀藩、主君不在のまま官軍方へ付き、入城を拒否。00341/28【1/4】「戊辰戦争-鳥羽・伏見の戦い」。新選組、伏見奉行所から撤退して、淀堤千両松に布陣。00351/28【1/4】「赤報隊」。江戸薩摩藩邸の浪士隊総裁・相さが楽ら総そう三ぞう(1839~1868)ら、江戸から神戸上陸。00361/28【1/4】丹波国山家藩13代藩主・谷たに衛もり滋しげ(1817~1875)、京に向けて江戸を発つ。山やま家が藩はん藩庁は、現・京都府綾部市広瀬町。00371/28【1/4】出羽国庄内藩の勤王家・水野行蔵(1819~1868)、獄中で毒殺される。享年50。00381/29【1/5】日向国高鍋藩、10代藩主秋月種たね殷とみ(1817~1874)が病中として、名代養子種たね樹たつ(種殷の弟)(1833~1904)の上京を命じられる。藩庁は、現・宮崎県児湯郡高鍋町。00391/29【1/5】武蔵国忍藩4代藩主・松平忠ただ誠ざね(1840~1869)は、大坂城内を出て天満橋建国寺へ戻る。忍おし藩はんは、鳥羽伏見戦は後詰めで、出兵していなかった。0040西園寺公望秋月種樹海江田信義柳原前光西郷隆盛西暦1868