戊辰戦争年表帖

戊辰戦争年表帖 page 21/26

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55戊辰戦争年表帖1/29【1/5】「赤報隊」。相楽総三(1839~1868)、京都薩摩藩邸に入る。00511/29【1/5】尾張藩兵、朝命により、二条城を接収。犬山城城代・成瀬正まさ肥みつ(1836~1903)が、受け取りに赴く。0052....

55戊辰戦争年表帖1/29【1/5】「赤報隊」。相楽総三(1839~1868)、京都薩摩藩邸に入る。00511/29【1/5】尾張藩兵、朝命により、二条城を接収。犬山城城代・成瀬正まさ肥みつ(1836~1903)が、受け取りに赴く。00521/29【1/5】西園寺公望の檄文に呼応して丹波国桑田郡山国郷(現・京都市右京区京北)の名主層が一隊を編成。5日間で83名の農民兵が集まった。のちの「山国隊」。00531/29【1/5】加賀国金沢藩13代藩主・前田慶よし寧やす(1830~1874)、幕府応援の出陣を命じるも、鳥羽伏見の戦いに幕府が敗れると、出兵をとりやめ、新政府に恭順する。実権は依然として、先代の父斉なり泰やす(1811~1884)が握っていた。00541/30【1/6】阿波国徳島藩13代藩主・蜂須賀斉なり裕ひろ(1821~1868)、病没。1月17日、長男茂もち韶あき(1846~1918)が、家督を相続する。藩論は恭順、倒幕に向かう。00551/30【1/6】大坂城の徳川慶喜(1837~1913)、自ら出陣を宣言。00561/30【1/6】「戊辰戦争-橋本の戦い」。八幡・橋本に退き陣を構えた旧幕軍、追撃の新政府軍と銃砲撃戦中、対岸・左側面の山崎高浜砲台(伊勢国津藩守備)より攻撃を受け、混乱・敗走、枚方まで退却。新選組隊士4名が戦死。突然の裏切り行為であり「その行い、藩祖(藤堂高虎)に似たり」とそしられた。伊勢国津藩11代藩主・藤とう堂どう高たか猷ゆき(1813~1895)は、追認して新政府に恭順する。00571/30【1/6】脱走者も多数出た新選組、旧幕軍と共に大坂に撤退、天満八軒家の船宿・京屋忠兵衛方に到着。天満橋西詰代官屋敷に到着ともいう。00581/30【1/6】大坂脱出を決意した徳川慶喜は、老中格大河内正まさ質ただ(上総国大多喜藩主)(1844~1901)・若年寄並・塚原昌義(1825~?)・幕府陸軍奉行・竹中重しげ固かた(1828~1891)の3名に、残留を命じる。0059二条城(古写真)徳川慶喜西暦1868