戊辰戦争年表帖 page 4/26
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概要:
はじめに~この本の使い方~この年表は、慶応4年(1868)1月1日から昭和16年(1941)の最期の戊辰参戦者・戊辰を知る大名、林忠ただ崇たか(元上総国請西藩3代藩主)没までを、佐幕派をメインに記載いたしました。会....
はじめに~この本の使い方~この年表は、慶応4年(1868)1月1日から昭和16年(1941)の最期の戊辰参戦者・戊辰を知る大名、林忠ただ崇たか(元上総国請西藩3代藩主)没までを、佐幕派をメインに記載いたしました。会津・庄内藩、新選組、旧幕臣、奥羽越列藩同盟軍はどう戦ったのか、維新政府軍の編成はその都度、どう変わって行ったのか。主に鳥羽・伏見の戦い・会津戦争から最後の箱館戦争の同時進行・多発戦を日付別に追っています。しかし、一部不明な月日に関しては、「-」で割愛をさせて頂いておりますのでご了承下さいませ。編集にあたり、別記参考図書や自治体・各団体の公式WEB等、大いに活用させていただきました。誠にありがとうございました。しかし、資料による違い、異説、物語などあらゆる事項があり、すべては、弊社の編集責で掲載しております。~太陰暦・太陽暦について~この年表では月日の表記は全て和暦を採用しており、一部、西暦の表記とはズレが生じています。日本では、明治5年12月3日(=明治6年1月1日(西暦1872年1月1日))までは太陰暦(旧暦・天保暦)を、それ以降は太陽暦(新暦・グレゴリウス暦)を使用しています。そのため、太陰暦である和暦(旧暦・天保暦)の月日と、それに対応する太陽暦である西暦(新暦・グレゴリウス暦)の月日は一致しません。ご注意下さい。なお、太陰暦(太陰太陽暦)の1年は太陽暦の1年に比べて約11日短く、このズレは3年で約1月分(約33日)となります。このため約3年に1度、余分な1ヶ月(閏月)を挿入して1年を13ヶ月とした閏年を設けることで、ズレを解消しています。なお、閏月は閏●月と表記し、仮に閏4月があった場合は通常の4月の後に閏月(閏4月)が挿入されていることを示しています。例)「戊辰戦争?鳥羽・伏見の戦い」はじまる:慶応4(明治1)1月3日(1868年1月27日)2