戊辰戦争年表帖 page 7/26
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53/2【2/9】「神戸事件」。発砲を命じたとされる備前国岡山藩の滝善三郎が、この事件で、「万国公法」を犯した罪で神戸永福寺(太平洋戦争の空襲で焼失)で切腹となる。05503/2【2/9】「新政府、東征軍編成」。徳川....
53/2【2/9】「神戸事件」。発砲を命じたとされる備前国岡山藩の滝善三郎が、この事件で、「万国公法」を犯した罪で神戸永福寺(太平洋戦争の空襲で焼失)で切腹となる。05503/2【2/9】「新政府、東征軍編成」。徳川家に対し厳罰論が優勢の新政府、自ら志願した政府首班の総裁・有栖川宮熾仁親王を、東征大総督に任命。大総督には江戸城・徳川家の件のみならず東日本に関わる裁量のほぼ全権が与えられることになる。05513/2【2/9】新政府は一方的に会津藩と庄内藩の征討を決定。さらにこの日、奥羽鎮撫総督府が組織される。05523/2【2/9】恭順謝罪を決意した徳川慶喜、朝廷より処分された若年寄永井尚志ら「鳥羽・伏見の戦い」の責任者を免職・登営禁止処分とする。05593/3【2/10】「赤報隊」。美濃国大垣の東山道先鋒総督の布告。新政府、信州諸藩に対して「赤報隊」は、偽官軍であると布告。05623/3【2/10】徳川慶喜、松平容保・定敬に江戸退去・謹慎を命ずる。05673/5【2/12】徳川慶喜、江戸城をを出て上野寛永寺(大慈院)へ移り、謹慎の意を表す。05863/5【2/12】「彰義隊」。この日、一橋家家臣の有志ら17名が、雑司ヶ谷の茶店「茗荷屋」に集まる。徳川慶喜の復権や助命について話し合った。17日には四谷鮫ヶ橋の円応寺に場所を移し30名ほどで会合を行う。05873/7【2/14】広沢真臣の辞退で、薩摩藩東海道先鋒隊差引(司令官)の西郷吉之助(隆盛)(薩摩藩・参与林玖十郎(通顕)(宇和島藩)が、東征大総督府下参謀に、軍監に江藤新平(佐賀藩士)が任じられる。06063/8【2/15】第二の国際紛争事件「堺事件」勃発。06153/8【2/15】江戸退去・謹慎を命ぜられた松平容保、江戸城和田倉門に藩兵を集め、突然の東帰を詫び抗戦を伝える。06243/9【2/16】「徳川家存続が総裁局で決まる」。06303/10【2/17】京の東征大総督府、九条道孝に、会津・庄内両藩の処置を授ける。06483/15【2/22】新政府議定・徳川慶勝(前尾張藩14代藩主)、勤王誘引使を派遣し、この日、勤王誓書71通を朝廷に提出する。07133/15【2/22】(江戸)松平容保の軍事奉行添役・神保修理(長輝)、会津藩三田下屋敷で自刃。享年35。神保は、鳥羽・伏見の敗戦の責任と藩主の東帰の責任を一手に引受けて死ぬ。07203/16【2/23】「堺事件」。土佐藩16代藩主・山内豊範の謝罪と賠償金15万ドルの支払い、責任者等の切腹が決まる。07293/16【2/23】「彰義隊結成」。この日、浅草東本願寺(京都東本願寺の江戸別院)で尊王恭順有志会130余人、大義を彰かにすると、次いで、「彰義隊」を130余人で結成。07353/17【2/24】東征大総督府下参謀・西郷吉之助(隆盛)、中村半次郎(桐野利秋)(一番小隊長)・村田新八(二番小隊長)・篠原国幹(三番小隊長)らを従え、駿府に入る。07403/18【2/25】陸軍総裁若年寄並・勝義邦(海舟)、旧幕府の新しい役職「軍事取扱」に任命される。07543/18【2/25】新選組、徳川慶喜の警護を終了。精鋭隊、見廻組、そして、幕府公認の部隊となった「彰義隊」が、慶喜警護。旧幕府は彰義隊の存在が新政府に対する軍組織と受け取られることを恐れ、また彰義隊と治安改善を願う江戸住民に対する懐柔を兼ねて江戸市中取締に任じていた。0756目次年表西暦元号新暦【旧暦】出来事掲載頁