院政・源平年表帖

院政・源平年表帖 page 14/20

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西暦11561月7日第77代後白河天皇(1127~1192)、信西(藤原通憲)(1106~1160)の法住寺堂へ行久寿30422ほうげん(保元1)幸。龍安寺(京都市右京区)2月2日藤原頼長(1120~1156)に、左大臣留任の宣旨。04233月5....

西暦11561月7日第77代後白河天皇(1127~1192)、信西(藤原通憲)(1106~1160)の法住寺堂へ行久寿30422ほうげん(保元1)幸。龍安寺(京都市右京区)2月2日藤原頼長(1120~1156)に、左大臣留任の宣旨。04233月5日守仁親王(14歳)(後の第78代二条天皇)(1143~1165)、美福門院(藤原得子)0424しゅし(1117~1160)の第三皇女・?子(よしこ)内親王(16歳)(1141~1176)を女御に迎えむねこる。?子は異母姉・統子内親王(1126~1189)の猶子となっていたため、統子の三条高倉邸で着裳の儀を行い、統子が腰結を務めた。鳥羽法皇(第74代)(1103~1156)は、分裂状態にあった美福門院派と待賢門院派の融和を図り、後白河(第77代)・守仁の体制を安定させることを図る。3月10日後白河天皇、石清水八幡宮寺行幸。その際、桂川・淀川に浮橋が架けられた。0425りょうし4月19日久寿2年(1155)の父・後白河天皇(第77代)(1127~1192)の即位に伴い、亮子(あ0426ぼくじょうきこ)(第一皇女)(1147~1216)、10歳で内親王宣下され、斎宮に卜定。4月27日ほうげん保元に改元。0427しめこ5月5日出家した呈子(ていし)(第76代近衛天皇中宮)(1131~1176)、菖蒲の節句のこ0428こうかもんいんの日、皇嘉門院と共に哀傷歌を交わして近衛天皇の死を悼む。皇嘉門院は、第75代崇徳天皇(1119~1164)中宮・近衛天皇(第76代)皇太后・関白藤原忠通のきよこ長女である藤原聖子(1122~1182)である。5月21日鳥羽法皇、病に倒れる。6月には危篤となる。0429さね5月22日第78代二条天皇東宮傅・内大臣藤原(徳大寺)実よし能(1096~1157)の屋敷が放火0430され灰燼となる。実能が美福門院(藤原得子)(1117~1160)や藤原忠通(1097~1164)に近しくなった時期であり、この放火は藤原頼長方の報復とされる。徳大寺は、石庭で名高い龍安寺の位置にあったとされ、焼失後、太皇太后宮藤原多子の兄・藤原(徳大寺)実定(1139~1192)が再建、後世、室町時代の宝徳2年(1450)、室町幕府の管領・細川勝元(1430~1473)が譲り受け、「大雲山龍安寺」とした。6月1日鳥羽法皇(第74代)の死への備え(万歳沙汰)を行う。043150