武田家三代年表帖(上巻) page 12/20
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天文5 3月- この月、禁中より勅使三条公きん頼より(1495~1551)、甲斐に下向。この月、武田信虎嫡男・太郎(1521~1573)、元服し将軍足利義晴の偏諱をうけて晴信(後の信玄)と名乗る。次いで晴信の使い、奉謝の....
天文5 3月- この月、禁中より勅使三条公きん頼より(1495~1551)、甲斐に下向。この月、武田信虎嫡男・太郎(1521~1573)、元服し将軍足利義晴の偏諱をうけて晴信(後の信玄)と名乗る。次いで晴信の使い、奉謝のため上洛する00323月- 松平広忠13歳(1526~1549)、阿部定さだ吉よし(1505~1549)・酒井正まさ親ちか(1521~1576)・酒井忠次(1527~1596)・石川清兼(?~1578)・石川数正(1533~1593)ら6、7人と伊勢神戸城を脱出。00333月17日駿河国の今川氏当主氏輝(24歳)(1513~1536)、弟彦五郎(?~1536)と共に、突然、没。死亡月日は異説あり。00343月17日松平広忠(家康の父)(1526~1549)、阿部定吉らに守られ、海路で遠州掛塚十郎島村(静岡県磐田市十郎島)の鍛治五郎の許に到る。阿部四郎兵衛定次(阿部大蔵定吉の弟)と対面。■阿部四郎兵衛定次(?~?)は、徳川氏創業時代の事件を記した家伝『松平記』を著わした。00355月- この月、武田信虎、佐久に侵攻。00365月24日寿桂尼(中御門宣胤の娘、今川氏親の正室、氏輝の母)(?~1568)、福島越前守宿所を訪れる。■寿桂尼は、夫・氏親の死後剃髪して瑞光院寿桂尼となり、大方殿と称された。氏親、氏輝、義元、氏真の四代に渡って今川氏の政務を補佐し「女戦国大名」「尼御台」と呼ばれた。子に今川氏輝、今川義元、瑞渓院(北条氏康室)(?~1590)など。0037西暦1536今川義元44