武田家三代年表帖(上巻)

武田家三代年表帖(上巻) page 2/20

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信玄は、大永元年(1521)11月3日、甲斐国守護・武田信虎の嫡長子として生まれる。この頃は武田宗家の内訌に新たに台頭した有力国衆・対外勢力の争いが関係し甲斐は再び乱国状態となっていた。今井信....

信玄は、大永元年(1521)11月3日、甲斐国守護・武田信虎の嫡長子として生まれる。この頃は武田宗家の内訌に新たに台頭した有力国衆・対外勢力の争いが関係し甲斐は再び乱国状態となっていた。今井信元が諏訪氏の援を得て、武田信虎に反旗を挙げて多麻庄小倉の浦城に籠城して信濃衆からの後詰を依頼する。しかし信虎の攻撃で降伏し、信虎の膝下となり甲府に出仕。天文元年(1532)9月、信玄父信虎は、事実上の甲斐統一を達成する。天文2年(1533)扇谷上杉家当主で武蔵国川越城主上杉朝興の娘が信玄の正室として迎えられる。しかし、天文3年(1534)11月壊胎して没する。天文4年(1535)9月17日、父信虎は、諏訪氏と和睦する。天文5年(1536)1月17日に従五位下・左京大夫に任ぜられ、3月には元服して、室町幕府第12代将軍・足利義晴から「晴」の偏諱を賜り、「晴信」と改める。7月には正室として左大臣・三条公頼の娘である三条夫人を迎えている。晴信の初陣は天文5年(1536)11月の信濃佐久郡の戦いとも、12月26日の佐久郡海ノ口城主平賀源心(成頼)攻めともいう。武田信玄、戦いの生涯武田信玄2